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コスケンコルヴァ・ウォッカの歴史

良質な大麦と、純度の高い水、そして熱心な地元農家と、昔からこの土地には全てにおいて最高の環境が揃っていました。そして現在、そこに最先端の蒸留プロセスを用いる事で、最高品質のウォッカを今も作り続けています。

この村の人々は、昔から変わらない生活を送っています。

「持続可能性」とは、私たちにとっての「生き方」と同じだと言えます。

私たちのあらゆる持続可能性への取り組みが評価され、 2018 Drinks Business Green Awards の Green Company of the Year を受賞しました 。

ジャガイモから大麦までの長い歴史 -
フィンランドウォッカの物語

オストロボスニア南部のコスケンコルヴァ村にあるコスケンコルヴァ蒸留所には、1930 年代から 1940 年代の変わり目まで遡る長い歴史があります。フィンランドのアルコール独占企業であるオイ・アルコホリリケ・アブ社は、コスケンコルヴァ家、ヤアコとエリザベト・コスケンコルヴァ夫妻から土地を購入し、この土地に「コスケンコルヴァ蒸留所」を建設しました。そして、1941 年の春に最初の実験蒸留が行われました。

フィンランド経済は困難な戦争時代から回復しつつあり、前年のヘルシンキオリンピックの開催など、国全体の気分が高揚していました。1953年、蒸留所の製造が本格的に始まり、最初のコスケンコルヴァ製品である「コスケンコルヴァ・ヴィーナ」は、ミックスドリンク、または冷やしたシュナップスとして使用できるというふれこみ で、1953 年に市場に登場、 そして1960年にはフィンランドで最も人気のある蒸留酒になりました。現在でも、コスケンコルヴァはフィンランドで最も売れている蒸留酒ブランドの一つです。初期の頃、コスケンコルヴァはジャガイモから蒸留されていましたが、まもなく海岸の肥沃な畑でよく育つ大麦に置き換えられました。

短い夏の数ヶ月の間、大麦は長く厳しい冬の間も供給が続くように穀倉に保管され、コスケンコルヴァは当初、0.5 リットルのボトルのみ生産されていました。ボトルのラベルには、納屋や畑といった昔から変わらないコスケンコルヴァ村の景色が描かれています。コスケンコルヴァでは、大麦栽培の技術が世代から世代へと受け継がれています。現在、コスケンコルヴァの製造に収穫物を提供している人々は皆、カールやエルメリなどの特定の大麦品種に関する特別な知識を誇りに思っており、彼らはこれらも技術、知識、経験を元に最高のウオッカを作り続ける事でしょう。

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「コスケンコルヴァ・サルミアッキ」は発売して、すぐに製造を禁止されてしまった

すでにコスケンコルヴァ村の人々は、自分たちのコスケンコルヴァが国民のお気に入りになっただけでなく、世界中で注目される可能性があることに気付いていました。サイズや味のバリエーションも増やし、90年代には、新製品「コスケンコルヴァ・サルミアッキ」が市場に導入されました。これは、フィンランド人の間で非常に人気のある塩味の甘草キャンディとコスケンコルヴァを組み合わせたものでした。しかし、その新製品はすぐに製造を禁止されてしまいます。理由は、売れ行きが良すぎたからです。

コスケンコルヴァの名声は高まり続けましたが、村の人々は以前と同じように、変わらぬ生活を続けました。フィンランドのオストロボスニア地域は、真面目な文化で知られています。コスケンコルヴァ村は、昔も今も、勤勉で正直な人々でいっぱいです。そしてその気質はウォッカにも反映されています。現在、コスケンコルヴァ・ウォッカは、アメリカやイギリスなど複数の国で販売されています。小さな村のウォッカは、変わらぬ人々と共に、長い道のりを歩んできました。

コスケンコルヴァはどこにある?

コスケンコルヴァはオストロボスニア南部、キュロヨキ川のほとりにあります。村の住民は約 2,200 人で、最も近い町セイナヨキまでは約 28 km離れており、首都ヘルシンキからは車で4時間かかります。地形は田舎風の野原で、最も有名なランドマークはサンタヴオリの丘とコスケンコルヴァ工場です。工場の隣にはコスケンコルヴァ駅がありますが、この駅は公共鉄道網から切り離され、現在は私有地となっています。コスケンコルヴァという名前は、1911 年に設立された鉄道駅に由来し、近くのコスケンコルヴァの地所にちなんで名付けられました。

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